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【要約】カフェが街をつくる 著者 入川ひでと

カフェが街をつくる

カフェが街をつくる


 

著者
入川ひでと

 
 
要約

日本から、地域密着型のコミュニティが消えて行っているといわれて久しい。そんな中で著者の入川氏は、ダイエーを経てカフェプロデュースや街ブランディングなどに転じ、「ワイヤードカフェ原宿」、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」、豊洲の「カフェ・ハウス」など、地域コミュニティのハブとなるカフェを次々に生み出してきた。
カフェはレストランと違って、メニューや営業時間にも決まったルールはない。著者のつくってきた店のタイプも様々だが、共通しているのは、「カフェはコミュニティをつくり、街をつくる」という信念と、人を読み、街を読み、そこからコンセプトをつくるというアプローチだという。

本書では著者が手掛けた多くのカフェ事例を通して、独自のマーケティング手法やコミュニティづくりの秘訣がわかりやすく説かれ、カフェ経営や飲食業に興味がある方はもちろん、街づくりや、組織・地域活性を考えるうえでも気付きの多い一冊となっている。

要約

カフェづくりは街づくり
徹底したリサ―チ

僕らがカフェの出店を検討する際に徹底するのは、人と街をとことん観察することである。どんな人が住んでいて、どんな人が働いているのか、300ミリの望遠レンズをつけた一眼レフを使い、大量に撮影する。

平日と週末、朝、昼、午後、夕方など、時間帯と曜日を区切って、性別、年齢、職業、ファッション…と、頭のてっぺんから爪先まで観察することで、徐々にターゲットを絞る。そのためにまず、駅前の人びと、物件周辺の人びと、商業施設周辺の人びとを徹底して観察するのだ。

次に、地図を見ながら立地を確認していく。駅から近いのか遠いのか、周辺の飲食店、コンビニ、レンタルショップなど、どんな商圏なのかをリサーチする。こうしたアプローチは、20代のときに仕事をしていたダイエーで身につけたものである。

ダイエー時代の上司は、色の指定をマンセル値(色彩を色相、明度、彩度によって表現する値)でするような人で、抽象的なことは一切言わなかった。イメージや固定観念に囚われず、あくまで客観的にその土地を調査する姿勢が、カフェを出店する際も必要になってくるのだ。

例えば住居にしても、新築の家が多いのか、コンサバで古い家に住んでいる人が多いのか。もしマンションが新しく建っていれば、住環境が開発によって変化していく可能性もリサーチした。様々な視点から、ターゲットの人びとを徹底的に観察した上で、お店づくりをするのである。

もちろんダイエーなので、合理性やコストを追求して統一するところも多いが、その土地のお客さんに好きになってもらうため、少し変化をつけることも必要だった。例えば、ワンパックに入れるきゅうりの数を何本にするかが、実はとても重要だったりする。

DINKSが多い地域ではワンパック2本、三世代が一緒の家に暮らすような大所帯が多い地域では量り売りにするなど、きゅうり一つとっても、リサーチができていないと商品を並べることすらできないのだ。

人口動態や世代調査のような定量分析だけでは意味がない。僕が地域に合う店づくりの中で見つけたのは、スタイル分析であり、どんな人が住み、どんな装いをして、どんな犬を連れてくるのか。それをマスマーケットの中で分析することだ。

コミュニティの拠点になる

カフェをつくり、サード・プレイス(家=ファースト・プレイス、職場=セカンド・プレイスに加えて心の拠り所となる場)として利用するために地域の人びとが集まってくるようになると、カフェはそれぞれの人の活動の拠点として機能し始める。

サード・プレイスが、利用者や生活者の目線でつくられたものである一方、「コミュニティ・ハブ」は地域社会におけるカフェの機能を説明する際に重要なキーワードである。

そしてコミュニティにおけるハブとしてカフェが機能しはじめると、「ローカル・サポート」が本格化する。大げさに考えるものではなく、近所の人にちょっと役立つことから始めるものだ。

例えば、少しの間だけお子さんや荷物を預かる、自転車を置いてあげる。掲示板をつくり、そこで何か教えたい人が生徒を探したり、スポーツのメンバーを集めたりする。カフェの店員が一方的にサービスをするのではなく、顔なじみのお客さん同士で助け合ってもらうのだ。

ワイヤードカフェ原宿をスタートしたあと、こんなことがあった。僕が原宿で買ったシャツのお直しをある店に頼んだら、カフェの裏側にある民家のおばちゃんが作業をしているのを目にしたのだ。

おばちゃんが縫製の仕事をしているのは気がついていたが、まさか近隣のそうした若者向けの店の下請けをやっているとは思いもしなかった。元々縫製をしていた地元の人たちと、裏原宿にやってきた洋服の作り手が融合する。そんな機能を果たせるのが、ローカル・サポートではないかと考えたことを覚えている。

共感を呼び、ビジネスを繋ぐ。「若者が来て迷惑」ではなくて、元からいる住民も一緒に盛り上げていく。そうした融合がローカル・サポートのあるべき姿のひとつである。

ビストロやバーにはできない機能を持つのがカフェであり、生活を豊かにすることをサポートするのがカフェのローカル・サポートだ。例えば、朝市や地域清掃、お客さんが主催の料理教室にお店を提供して従業員も参加させてもらうなどがある。

僕の考えるカフェは単に居心地のいい飲食の場所にとどまるのではなく、集まる人々が出会い、ゆるやかにコミュニティを形成し、やがては文化を発信していくようなコミュニティ・ハブなのだ。

地域の歴史と文化を大切にする

ワイヤードカフェ原宿を手がける前は、デザイン住宅の事業をしていた。その一方で、家をひとつずつではなく、街ごと建て替えたいと考えていた。

なぜなら、ダイエーに勤めていた頃、スーパーマーケットが出店することで、地元の八百屋さんなどが廃業に追い込まれ商店街がシャッター街となったあと、マンションや住宅ができ、1年も経つと「ハリボテの街」になってしまった、という話をしばしば耳にしていたからだ。

39歳の頃、見捨てられた都市を次々と再開発した都市プランナーのJ.C.ラウスが初期に開発に携わったボストンのマーケットを訪れた。ラウスの本を読んでから、一度じっくり見てみたいと思っていたのだが、実際に行って体験すると、そこでしか得られない価値があった。

ボストンは、アメリカで最も歴史の古い街のひとつで建国の地である。しかし、20世紀に入り製造業が衰退し、商業施設の郊外移転によってスラム化していた。ラウスは本来ボストンが持っている重厚な歴史を生かし、アメリカ人のノスタルジーに訴えかける雰囲気を持ったマーケットをつくることに成功していた。

そこは何時間でもいたくなる楽しい仕掛けに満ちている。大道芸人や露店風の小粋なアクセサリー店、レストランや夜の美しいイルミネーション。スラム化していたとは信じられないほど、そのフェスティバル・マーケットプレイスは賑わっていた。

僕は、ここで元々あったものを全部スクラップして新しいものをつくるのではなく、既にあったものを利用するのがいかに大事かということを痛感した。朽ち果てたところを再生するのに、全部スクラップにしてしまったら豊かになれない。昔の記憶を残してこそ価値があるのだ。

ヨーロッパの都市は、歴史的景観を残しながら進化した。それに比べ、過去のものをどんどんスクラップし、新しいビルを建ててきたのが戦後の日本である。

インテリア、空間、飲食のメニューも大事だが、その街の記憶やその建物の背景を生かすようにすることによって、お客さまにとって居心地のよい空間をつくることができる。ラウスはこの大切なことを教えてくれたのである。

10坪15席のカフエが成功した秘密

デザイン住宅の設計を受託していた1998年頃、キャットストリートの小さな土地を利用するプレゼンをしないか、という話を頂いた。

今では想像できないかもしれないが、キャットストリートの土地を見に行った当時、そこは人が1日10人も通っていないほど寂しいところだった。川が埋め立てられて、あとからキャットストリートができたので、通りは生活者の動線の裏側だったのだ。

そこで1週間は渋谷と原宿の間で観察をした。どんな人が歩いているか、写真やビデオを撮って、年齢、性別、ファッション、アクセサリー、持ち物などをじっくり見て、「今これが足りない」「こう変化するだろう」「だからこう出そう」と考えたのだ。

大事なのは「何人いるか」ではなくて、「どんな人がいるか」でである。例えば同じタトゥーでも、ストリートスタイルから、カリフォルニアスタイルまでいろいろあるので、そういった細かいところまで観察する。

そんな作業のなか、土地の周囲でピアスとタトゥーをしている若者を数えてみた。すると渋谷のセンター街の10倍の人数であった。渋谷よりはるかにとんがった若者がキャットストリートを歩いていたのである。

キャットストリートの周辺は、渋谷と比べると、サブカルチャーやストリート文化を好む若者が周辺に集まっていた。そこでコンセプトを「サブカルチャーカフェ」にしたのである。

その頃から原宿通りやキャットストリート裏原宿と呼ばれ、ちょうど企業の出店が始まった。また、付近には、マンションの一室に事務所を置くようなアーリーステージの若者、主にファッションに関連するビジネスを始めた人が多く働いていた。

そこで彼らのニーズを満たし、感性に合うものをつくることにした。マンションの一室をオフィスにしているお客さんが、カフェを打ち合わせ場所として使う場合のために、遅い時間までランチを提供したり、夜食をつくったり、アパレル系のデザイナーたちのために、展示スペースとして提供したりしたのだ。

また、大手アパレル企業が新ブランドのテストマーケティングに使ってくれることもあった。カフェを利用してくれる人たちのために、やれることは何でもやり、地域のニーズに応えることで、月額90万円という家賃でも、大きな成功を収めることができたのである。

このとき学んだのは、店のサイズは関係なく、コミュニティ・ハブの機能を持った店はビジネス的にも成り立つということ。席数×客単価で出店するかどうかを決めてしまう飲食の世界の常識は疑っていいのである。サイズは関係なく、機能が提供できればビジネスとして成立するのだ。

周辺で働く若者たちのライフスタイルは読みどおりで、実際、お客さんもほとんど周辺で働く若者で、原宿といえども観光客は来なかった。1日2回来るお客さんもいて、この店でできたことが、その後のカフェづくりの原点になっているのだ。

 



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