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葛飾北斎のとか言う妖怪ヤバすぎる…90歳にして画狂老人卍に

 葛飾北斎(画狂老人卍)

葛飾 北斎(かつしか ほくさい、葛飾 北齋、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)は、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E

葛飾北斎の名前の変遷

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どうやら北斎は名前を売って生計を立てていたようです。確かに、葛飾北斎と名前が付いていればどんな絵だろうと売れそうですからね。

 

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北斎の代表作「冨嶽三十六景」は為一時代の作ですね。「北斎改為一」って画中に書いてあります。

 

 90歳の時の自画像

天保13年(1842年)、82歳(数え年83歳)頃の自画像(一部)

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 画京老人卍時代の作品

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 北斎の墓

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この時代の90歳で、しかも180cm以上あったらしいので、本当に妖怪みたいな人だったんですね。かなり耳もデカかったらしい。


今で言ったら210cm120歳みたいな感じです。

掃除めんどかったらしく、90年の生涯の内93回引越ししたそうです。
掃除したくなくて引っ越しを続けたそうですが、巡り巡って前住んでいたところに戻ってきたら自分が汚した時のままだったので観念してそこに定住することに決めたそう…

食事料理は買ってきたり、もらったりして自分では作らなかったようです。

乱れた生活を送りながらも彼が長命だった理由として、彼がクワイを毎日食べていたから、と言う説があります。斎藤月岑によれば、この親子(北斎とお栄)は生魚をもらうと調理が面倒なため他者にあげてしまうそうで…

また、北斎は、行儀作法を好まなかったそうです。イメージ通りですね…

たいへんそっけない返事をし、態度をとる人物であった。人に会っても一礼もしたことがなく、ただ「こんにちは」「いや」とだけ答えていたようです。

衣服は絹類や流行の服を着たことがなく、雑な手織りの紺縞の木綿、柿色の袖無し半天。六尺の天秤棒を杖にして、わらじか麻裏の草履をはいていたそうです。

また、歩くときに常に呪文を唱えているので、知人に会っても気がつかないことがあったらしい。完全に変人ですね。

弟子が北斎仮宅之図に北斎の様子と、室内の状況を描いている。 晩年の北斎が、こたつの布団をかぶりながら畳の上に紙を敷いて絵を描いている。不敵な顔をした娘のお栄が、箱火鉢に添いながらその様子をながめている。 杉戸には「画帳扇面おことわり」と張り紙をしている。柱にはミカン箱を打ち付けて仏壇としている。はきちらかした草履と下駄。火鉢のうしろが炭と食品容器であったかごや竹皮のごみの山である。

北斎仮宅之図露木為一 国立国会図書館所蔵)

 

北斎は晩年になっても画法の研究を怠らず続けていた。

北斎は「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。」とし、接骨家・名倉弥次兵衛のもとに弟子入りして、接骨術や筋骨の解剖学をきわめ、やっと人体を描く本当の方法がわかったと語った。

弟子の露木為一の証言では、「先生に入門して長く画を書いているが、まだ自在に描けない・・・」と嘆いていると、娘阿栄が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。

何事も自分が及ばないと自棄になる時が上達する時なんだ。」と言うと、そばで聞いていた北斎は「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E

 

 

北斎の創作にかける熱意はすごく、葛飾北斎の死ぬ間際の言葉 が


「後5年あったら良い絵が描けたのに」

 

だったそうです。

葛飾北斎の娘もすごい

葛飾応為(かつしかおうい)と言う。
なぜ「おうい」という名がついたかというと、北斎が「おーい、おーい」と呼んでいたので付けたとのこと。

 

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あと、晩年の北斎の画は娘が書いたものが一定数あるらしい(一部か全部の両パターン)ので、美術界隈の人間は再評価に必死かも。
今は葛飾応為作と言われている画は20作程度しか無いですが、相当の数が集まって個展開けるようになったらかなりの集客効果がありそうです。 

 

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