絶対に手を出してはいけないアメリカの企業
アメリカ様の怒りに触れるので、絶対に手を出してはいけない企業があるそうです。
これは西和彦さんが夏野剛さんとの会話にて出てきた話です。
とても面白いので、今回は触れてはいけない米国企業を紹介したいと思います。
マイクロソフト
あの有名なWindowsOSを提供している企業です。ビジネスではほぼインフラとなっていますね。
マイクロソフトの概要
マイクロソフト(英: Microsoft Corporation)は、アメリカ合衆国ワシントン州に本社を置く、ソフトウェアを開発・販売する会社である。1975年4月4日にビル・ゲイツとポール・アレンらによって設立された。
当初は世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタプリタの開発・販売で成功を収めた。
当初はネイティブ環境(カセットテープベースでオペレーティングシステムはなくROM-BASICに近い環境のもの)だったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/MベースのMBASICを発表する。
グラフィックス機能をつけたGBASIC、16ビット用のGWBASICが登場する。なお、GWのWは16ビットを意味するダブルバイト/ワードだとされている。
ついでIBM PC上のオペレーティングシステムの開発を請け負い、シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、PC DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM PCとそれら互換機の普及と共にオペレーティングシステムの需要も伸び、現在に至る地固めを確かなものとした。
86-DOSの開発者ティム・パターソンは後にマイクロソフトに引き抜かれMS-DOSの開発メインスタッフとなる。 マイクロソフトはMS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・FORTRANなどのコンパイラの開発を手がける一方、Altoの見学などMS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力した。
またビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し、先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも多方面のビジネスソフトでシェアを独占するに至った。
黎明期の1970年代後半から1980年代前半には西和彦がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。
このことはマイクロソフトの日本進出に大きく作用している。アスキーはMSXやAXの共同展開や日本法人設立までの日本代理店(実際は子会社のアスキーマイクロソフト株式会社が担当)を務めるなど、大きな貢献をしていた。
OSはMS-DOSの他にXENIXの開発やIBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後デヴィッド・カトラー率いるDECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発した。
このノウハウを元にWindowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows 95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。またこのときにアスキーとの復縁もアピールした。
その後もWindowsの改良を進め何度もマイナーチェンジを繰り返した他、インターネット経由やCD-ROMなどで大量のモジュールを配布している。Windows NTによりサーバ市場への進出も果たした。
2001年にはWindows XPの発売によりMS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合した。 また2000年代に入ると、障害者のアクセシビリティへの配慮を『企業の社会的責任』だと位置づけ、各国でマイクロソフト支援技術ベンダプログラムを展開した。 また、ゲーム機としてXboxを2001年に発売し、2005年12月にはXbox 360、2013年11月にはXbox Oneを発売した。
2011年10月17日、どんな場所でもタッチスクリーンに変えてしまう新技術「OmniTouch」を公開した。同技術はマルチタッチに対応。手のひら、腕、壁、ノート、机などをタッチスクリーンとして活用することを目指している。
2013年9月3日、ノキアとノキアの携帯電話部門を54.4億ユーロ(約7130億円)で買収する事に合意した、と発表。
2014年4月25日、ノキアのモバイル事業について買収完了を発表。
2015年5月11日、海底ケーブルネットワークへの投資について発表。Hibernia Networks と共同出資・敷設を協定。
日本ユニシスと米マイクロソフトがクラウド版の銀行勘定系システムを開発していることが2018年3月16日までに日経FinTechと日経コンピュータの取材で分かった。北國銀行(石川県)が採用を決めたほか、複数の地方銀行が導入を検討している。稼働は2020年前後の見通し。高い信頼性と処理性能が求められる銀行の勘定系システムをクラウド上で動かすのはネット銀行を含め国内初となる。
マイクロソフトのパブリッククラウドサービス「Azure(アジュール)」上で日本ユニシスが開発した勘定系システム「BankVision」を動かす。オンライン処理などの制御に必要なミドルウエアは日本ユニシスが開発する。
クラウド上で動かすことで銀行は預金量の増減に柔軟に対応しやすくなる。ハードウエアやソフトウエアの更改作業が不要になるほか、サイバー攻撃などへの対策も取りやすい。クラウド勘定系は災害対策の機能も備えるため、システムの維持費用は3割以上安くなる見通し。北國銀行はこれらのメリットを総合的に判断していち早く導入を決めたようだ。
日本ユニシスはマイクロソフトのOS「Windows Server」とデータベース管理ソフト「SQL Server」で動作する勘定系システムのBankVisionを2007年5月に稼働させており、北國銀行や百五銀行(三重県)など地方銀行10行が採用している。北國銀行はBankVisionを2015年1月から利用しており、更改のタイミングが合ったことも決断の追い風となったもよう。
シスコシステムズ
ネットワーク機器の製造をしている企業です。
ネットワークを構築するのにシスコなしでは構築できません。
シスコシズテムズの概要
シスコシステムズ(英: Cisco Systems, Inc.)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼに本社を置く、世界最大のコンピュータネットワーク機器開発会社。Cisco(シスコ)の略称で呼ばれることが多い。
シスコは 1984 年 12 月、Leonard Bosack(スタンフォード大学コンピュータ サイエンス学科のコンピュータ管理担当)、およびその妻 Sandy Lerner(スタンフォード大学経営大学院のコンピュータ管理担当)によって設立された。
1984 年にシスコを設立した後も、Bosack は Kirk Lougheed と共にスタンフォード大学で仕事を続け、その間に最初の製品を開発した。これは、スタンフォード大学で使用されていた「Blue Box」ルータを完璧に模したもので、同じく大学で開発されたマルチプロトコル ルータ ソフトウェアを流用していた。
このソフトウェアは元々、数年前にスタンフォード大学医学部にて、研究エンジニアだった William Yeager によって開発されたもので、Bosack と Lougheed によって作り変えられた。後に Cisco IOS のベースとなるものである。
Bosack、Lerner、Lougheed のほかに、プログラマである Greg Satz、セールス担当の Richard Troiano が加わり、初期のシスコ チームが誕生した。
初代 CEO は Bill Graves であり、1987 ~ 1988 年までその任に当たった。1988 年には、John Morgridge が CEO に任命された。 「Cisco」の社名は、市名であるサンフランシスコ(San Francisco)に由来する。
設立間もない頃、同社のエンジニアが小文字の「cisco」を使うことにこだわった理由である。会社のロゴは、ゴールデン ゲート ブリッジの 2 つの鉄塔をモチーフとしている。
専用ネットワーク ノードを開発、販売した最初の会社ではないが、マルチ ネットワーク プロトコルをサポートするルータを初めて製品として販売した会社の 1 つである。
標準的な CPU ベースのアーキテクチャである初期シスコ デバイスと IOS オペレーティング システムの柔軟性を組み合わせ、ソフトウェア アップグレードの頻度を上げることで進化するテクノロジー ニーズに対応することが可能になった。
当時の人気モデルの一部(Cisco 2500 など)は、実質的な変更なしにほぼ 10 年間製造され続けたが、これはハイテク産業では非常に稀なことである。
エンタープライズ分野で存在感を示していたが、サービス プロバイダー(SP)分野の需要の高まりを機敏にとらえ、Cisco 7000 や Cisco 8500 などの大容量の新しい製品ラインで SP 市場に参入した。
1992 ~ 1994 年にかけて、Kalpana、Grand Junction、有名なところでは Mario Mazzola が社長兼 CEO であった Crescendo Communications など、イーサネット スイッチング分野の企業を数社買収して、Catalyst 事業部門を設けた。
当時、レイヤ 3 ルーティングとレイヤ 2(イーサネット、トークン リング)スイッチングを、異なるインテリジェンスとアーキテクチャを補完する機能として構想していた。
ルーティングは遅くて複雑である一方、スイッチングは速くてシンプルというものだった。1990 年代の同社の製品ラインには、この理念が反映されている。
1995 年、John Chambers が、John Morgridge の後を引き継いだ。 1990 年代半ばから後半にかけてインターネットが驚異的に成長し、電気通信業界を取り巻く状況は急速に変化する。
インターネット プロトコル(IP)が普及するにつれ、マルチプロトコル ルーティングの重要性は低下した。この状況にもかかわらず、シスコはモデム アクセス シェルフ(AS5200)から、ISP にとって急速に不可欠となったコア GSR ルータに至るまでの幅広い製品を提供して首尾よくインターネットの波に乗った。
1998 年までに、この重要分野でシスコは事実上の独占状態を確立した。 2000 年 3 月下旬、ドットコム バブルの真っただ中、シスコの時価総額は世界一になり、5000 億ドルを突破した。
ハードウェア レベルのプログラミング ルーティング機能が複雑化したことから、IP パケットと MPLS パケットを完全にハードウェアで処理しようとするスタートアップ企業数社が誕生した。
同時にルーティングとスイッチングとの境界線が曖昧になった。
そのうちの 1 社である Juniper Networks 社が、1999 年に初の製品を出荷。2000 年には SP 市場におけるシスコのシェアを約 30 % 切り崩すことに成功した。
この課題に対してシスコは、GSR ルータ向けの独自 ASICや高速処理カード、Catalyst 6500 スイッチなどで対応した。2004 年には、新しいハイエンド ハードウェア CRS-1 とソフトウェア アーキテクチャ IOS-XR への移行も開始している。
2006 年、大規模なブランド変更キャンペーンの一環として、略称の「Cisco」を採用し、「ヒューマン ネットワーク(The Human Network)」広告キャンペーンを打ち出した。
これらの取り組みは、シスコを「お馴染みの」ブランドにするためのものであり、ローエンドの Linksys 製品や将来の消費者向け製品(シスコが 2009 年に買収した Flip Video カメラなど)の販促を目的とした戦略だった。
従来のビジネスの面では、ルーティング、スイッチング、セキュリティにおける広範なエンタープライズ向け製品の開発を続けた。イーサネットの重要性が急速に高まったことも製品ラインに影響し、成功を収めた Catalyst 6500 イーサネット スイッチから汎用的な Cisco 7600 ルーティング プラットフォームもシェアを拡大した。
しかし、IOS と古くなった Crescendo アーキテクチャの限界により、キャリア イーサネット分野での商用半導体を検討する必要に迫られることになった。
その結果、EZChip ベースのハードウェアと IOS-XR を中心とした、企業向けキャリア イーサネットとサブスクライバ管理ビジネスの統合を目的とした、新しい ASR9000 製品ファミリが誕生した。また、買収により新たな市場へも進出した。
その一例が、2009 年のモバイルを専門とする Starent Networks 社の買収であり、その結果 ASR5000 製品ラインが生まれた。
2000 年半ばには、インドでも大きな存在感を示し、バンガロールに 10 億ドルでグローバリゼーション センター イーストを開設した。
2012 年 7 月 24 日、シスコは EU 政府から、NDS 社(TV ソフトウェア開発会社)を 50 億米ドルで買収する承認を得た。この買収で「ヒューマン ネットワーク」戦略は終焉を告げ、シスコは Linksys や Flip などの家庭用ハードウェアへの経営資源を削減し、クラウドおよびソフトウェア市場への転換を図った。
2013 年 7 月 23 日、Sourcefire 社を 27 億ドルで買収することに正式合意したと発表した。 2014 年 4 月、IoE(Internet of Everything)市場を主力とする創業間もない企業に、国を問わず 1.5 億ドルを投資すると発表。この投資資金は、The Alchemist Accelerator、Ayla Networks、EVRYTHNG などの IoT アクセラレータやスタートアップ企業への投資に割りふられた。
発表後、The Alchemist Accelerator はシスコとの戦略的提携を発表し、IoT スタートアップ企業の成長を促す個別プログラムを開始した。新たな投資により、Cisco Investments によるテーマごとの投資総額は、新興 IoE 市場を主力とするスタートアップ企業向けの 1 億ドルと併せて 2 億 5,000 万ドルとなった。
シスコの IoT 開発と拡大は、イノベーション担当バイス プレジデント Maciej Kranz が同分野の世界的な専門家としてリードした。
2015 年 5 月 4 日、CEO 兼会長 John Chambers が同年 7 月 26 日付けで CEO を退任すると発表。会長職は継続とされた。Chuck Robbins(ワールドワイド セールス & オペレーションズ担当シニア バイス プレジデント、シスコ勤続 17 年)が、次期 CEO となる。 2015 年 7 月 23 日、テレビ セットトップボックスとケーブル モデムの事業を Technicolor SA 社に 6 億ドルで売却すると発表。
この事業は元々、シスコが Scientific Atlanta 社を 69 億ドルで買収した際に手に入れたものだった。この売却は、コンシューマ市場から徐々に撤退する中で、エンタープライズ分野のクラウドベース製品に重点を置く、シスコの新たな経営陣による取り組みの一環として行われた。またビデオ製品に関しては、Technicolor 社と引き続き協力していくとされた。 2015 年 11 月 19 日、シスコは ARM Holdings、Dell、Intel、Microsoft、プリンストン大学とともに、フォグ コンピューティングへの関心を促し、開発を促進するために、OpenFog コンソーシアム を設立した。シスコのイノベーション & コーポレート テクノロジー担当シニア ディレクタ Helder Antunes が、コンソーシアム初代会長となった。 2016 年 1 月、Software Defined WAN(SD-WAN)のスタートアップ企業で、ブランチ オフィス ネットワークの設定と最適化のためのクラウド サービスを提供する VeloCloud に投資。
March Capital Partners の主導するシリーズ C ラウンドで、VeloCloud に 2700 万ドルを出資した。なお VeloCloud には 2 社が戦略的な投資を行っており、そのうちの 1 つがシスコであった。 2017 年 2 月、クラウドとモバイルのセキュリティ リスクに対応する、クラウドベースのセキュア インターネット ゲートウェイを初公開した。公開された Cisco Umbrella は、企業ネットワークや VPN を使用しないユーザがリモート データセンターに接続する際に、安全なインターネット アクセスを提供できるように設計されている。
通信事業者向けハイエンドルーター
クアルコム
通信技術に関わる企業です。
そのクアルコムが買収されそうになったのですが、トランプ大統領に阻まれました。
それもそのはず、これら4つの企業はアメリカの国防にも関わっているからです。
本当に触れてはいけないことが今回のニュースでわかりましたね。
クアルコムの概要
クアルコムは1985年、アーウィン・ジェーコブズとアンドリュー・ビタビによって設立された。社名のQualcommは、QualityとCommunicationsを合わせた造語である。
本社はカリフォルニア州サンディエゴにある。
CDMA方式携帯電話の実用化に成功して成長を遂げた。 当初は携帯電話端末と通信設備の部門を併せ持っていたが、その後、携帯電話端末部門は京セラに、通信設備部門はエリクソンにそれぞれ売却された。
CDMA携帯電話用チップでは、ほぼ独占に近いマーケットシェアを保持している。また、従来のcdmaOneシリーズのほか、1x EV-DOおよびCDMA2000 1xを含むCDMA2000携帯電話用チップ以外にもHSPAを含むW-CDMAやLTE携帯電話用チップの供給も行っている。
ほかにREX OSと呼ばれる携帯電話向けの組み込み用リアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)やBREWと呼ばれる携帯電話向けのアプリケーションプラットフォームの開発もしている。それらの数多くの特許を保有しており、それにより他社から得られるライセンス料が大きな収益源となっている。
また、Snapdragonチップセット(および他のクアルコムのチップセット)のGPUテクノロジ「Adreno」は、2009年1月にAMDから買収したモバイルプラットフォーム部門、およびグラフィックスチップ技術をベースとして開発した独自技術である。
また、2011年には無線チップメーカーのアセロス・コミュニケーションズを買収し、無線LAN技術も手がけている。
2015年8月13日、クアルコムの子会社であるクアルコム・グローバルトレーディングは、Bluetoothの高音質化コーデックテクノロジで知られる「aptX」の開発元で知られるCSR社の買収を完了したことを表明した。2016年10月、携帯電話分野への偏りを是正し、自動車分野での半導体供給の強化を目的として、同分野の世界首位であるNXPセミコンダクターズの買収を発表、2017年末までの買収完了が予定されている。
クアルコムはファブレスメーカーであり、半導体の製造は大手ファウンドリであるGLOBALFOUNDRIES、TSMC等へ委託し製造している。
2017年11月、ブロードコムは1030億ドルでクアルコム株を70%取得する計画を発表していた。
クアルコムはこれを拒否、一方、ブロードコムは取得株を70%から82%と引き上げた。
ブロードコムの買収額は1170億ドルまで引き上げられた。
本件に関し、対米外国投資委員会が調査を開始した。
ブロードコムは、重大な国家安全保障に関する資産を海外企業には売却しないとの声明を出したが、トランプ大統領は、シンガポール拠点のブロードコムによるクアルコム買収は、米国の移動通信産業を衰退させ安全保障上に懸念があると判断し、買収をブロックする署名にサイン、ブロードコムは買収を断念した
トランプ氏、大統領令でブロードコムによる米クアルコム買収を阻止
[ワシントン 12日 ロイター] - トランプ米大統領は12日、シンガポール半導体大手ブロードコム(AVGO.O)が提案している米クアルコム(QCOM.O)買収について、
国家安全保障上の観点から禁止する命令を発出した。
3月12日、トランプ米大統領(写真)は、シンガポール半導体大手ブロードコムが提案している米クアルコム買収について、
国家安全保障上の観点から禁止する命令を発出した。米ペンシルベニア州で10日撮影(2018年 ロイター/Joshua Roberts)
ブロードコムはクアルコムに1170億ドルで買収を提案。実現すればテクノロジー業界で過去最大の買収になるとみられていた。
買収提案は、米財務省が主導する対米外国投資委員会(CFIUS)が調査を進めていた。
大統領令は「買収者(ブロードコム)が提案したクアルコム買収は禁じられ、実質的に同様のいかなる合併、買収も禁じられる」と表明。
クアルコムを支配したブロードコムが「米国の国家安全保障を損なう恐れがある行動を取る可能性」をトランプ大統領が信じるに至る「確かな証拠」があると指摘した。
米大統領がCFIUSの異議に基づいて買収を阻止したのは5件目。トランプ氏としては就任以来2件目となる。
大統領令に先立ち、CFIUSはブロードコムに宛てた11日付の書簡で「国家安全保障上の懸念が裏付けられた」と指摘していた。
半導体業界は第5世代(5G)無線技術用の半導体開発を急いでいる。クアルコムは、
この分野でシェア獲得を狙う華為技術(ファーウェイ)[HWT.UL]など中国企業に対する最大の競合社の1つで、米国にとって貴重な資産となっている。
ブロードコムがクアルコムに提案した買収額は、1170億ドル(約12兆円)。実現すればテック業界最大の買収であり、業界最大手のチップ企業の1つとなるはずでした。買収に関しては、外国投資委員会(Committee on Foreign Investment)が調査を行なっており、いわくブロードコムによる買収は、次世代モバイルテクノロジの生産競争において中国企業に有利に働く&アメリカにて国防に関する通信技術を提供する企業がなくなってしまう危険性があるということ。これが、つまり、国家安全保障を脅かす可能性になるわけですね。
ブロードコムは、この春、アメリカへの本社移転を予定。もともとは5月移転完了予定でしたが、外国投資委員会調査の対策として、4月3日までに移転を完了させようと前倒し変更していました。が、間に合いませんでしたね。今後、クアルコムをめぐって、ブロードコムに次なる一手があるのかは不明。ただ、インテルもクアルコム買収に興味ありとのことで、そっちの実現が色濃くなってきたのではないでしょうか。
インテル
世界で圧倒的なシェアを誇るCPUを製造する企業です。
バルセロナのMWCショーのITプロメディアとのインタビューの中で、デルのCTOは主にインテルで継続して、Ryzenプロセッサを搭載したPCはわずかしか提供しないと言いました。彼にとって、Intelは市場を支配し、AMDは永遠の第2位です。 AMDベースのPCが引き続き利用可能になるならば、インテルのオファーは引き続き最も広範かつ安全です。 John Roese氏によると、両メーカー間の格差は巨大で、AMDはプロセッサ分野でIntelに比べるほど遠いという。デルのコンピュータ用にIntelにAMDを採用した主な理由です。それでも、市場に出ている両方のメーカーにとって十分な余地があると認めています。しかし、Dellはその範囲で半分と半分にするつもりはない。少なくとも、今は計画されていません。
https://smarthphonechoise.com/2018/03/dell-favors-intel-processors-over-amd/